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江都公主(こうとこうしゅ、? - 1403年4月8日〔永楽元年3月8日(『明成祖実録』卷18)〕)は、明の懿文太子朱標の嫡出長女。建文帝の嫡姉(異母姉)。 == 経歴 == 太子妃常氏の娘として生まれた。初め、江都郡主の位を授けられ、洪武27年(1394年)に耿璇(長興侯耿炳文の長男)と結婚した。建文元年(1399年)、公主の位を授けられた。 耿璇は建文帝に忠誠心を示し、燕王朱棣(後の永楽帝)を粛清するよう説得した。これが永楽帝の怒りに触れて、その即位後すぐの永楽元年(1403年)、一族もろとも処刑された。江都公主は郡主に降格され、間もなく急死した。 南明において弘光元年(1645年)、公主に追復された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江都公主 (明)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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